こんにちは、いつも全国たくさんの地域からお越しいただきありがとうございます!
「縁日」をインターネットで検索してみると、露店の画像がたくさん出てきますが、辞書をひくと「神仏の、この世に縁(ゆかり)のあるとする日で、その日に参詣して神仏と縁を結ぶと、ふだんにまさる御利益があるといわれる日」とあります(日本国語大辞典)。縁日にお参りするたくさんの人々を相手にお店が立ち並び、いっそうにぎやかな雰囲気を作り出す…その様子がまるごと言葉のイメージになっているようですね。
というわけで今回は、夏の大阪城とご縁のある行事や、ちょっとこわい&不思議なお話をご紹介します。
■7月12日、大阪城にやってくる神さま
ここ数年、コロナ禍のため、規模の縮小や開催の中止を余儀なくされた各地のお祭り。
2023年の夏は完全な形でおこなわれるというところも多いようですね。
ところで大阪城の南外堀の西側に、こんな場所があるのをご存知でしょうか。
一段上がった小さな舞台。柵の向こう、右側に見えるのは千貫櫓と大手口多聞櫓
普段はひっそりしているこちら、「いくたまさん」の名で親しまれている生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)の御旅所(おたびしょ)です。
生國魂神社は現在大阪市天王寺区にありますが、もとは大坂城のあたりにあり、なにわの神さまとして信仰をあつめました。その由緒にちなんで昭和5年(1930)に作られたのがこの場所。夏祭りのさい神輿の渡御(とぎょ)がおこなわれます。
今年は4年ぶりに7月12日に開催予定。久々のお城の景色、神さまに存分に楽しんでもらいたいです。
テーマ展図録『古写真にみる なにわの行事・祭礼』(商品ページはこちら)
大阪城天守閣発行のテーマ展図録『古写真にみる なにわの行事・祭礼』には、昭和初期に撮影された生國魂神社の夏祭の写真を掲載しています。そのうちの1枚、大手前で枕太鼓を叩く写真から、大きな音と人々の歓声がきこえてくるよう。にぎわいの向こうには、復興した天守閣の屋根がわずかに見えます。
■8月18日、豊臣秀吉の命日
こちらは大阪城の二の丸南側、桜門の正面にある豊国(ほうこく)神社。
豊臣秀吉と息子秀頼、秀吉の弟秀長を祀っています。
大阪の豊国神社は明治12年(1879)に創立されました。当初は市内の中之島にありましたが、昭和36年(1961)大阪城内に移転して、現在にいたります。
慶長3年(1598)8月18日、豊臣秀吉は62年の生涯を閉じました。
豊国神社では毎年新暦8月18日に、神社のもっとも大切なお祭りとして「太閤祭」をおこなっています。
■江戸時代の絵図に記された「ばけもの屋敷」
話はがらっと変わりますが、以前、ある神社の境内で「お化け屋敷」を見かけたことがあります。突然あらわれた予想外のお店とその雰囲気にびっくり。ちょっと怖いけど、見てみたい気もする…これも夏の楽しみのひとつですね。どこかのお祭りや縁日で、この夏お目にかかれるかもしれません。
怖いといえば、大阪城の京橋口から二の丸へ入った、木々の生い茂る道の途中に、ぎょっとする名前の説明版があるのをご存知でしょうか。
「ばけもの屋敷」…
このあたりは江戸時代のはじめ、金奉行の屋敷がありましたが、やがて空き地となり、いつしか「ばけもの屋敷」とよばれるようになりました。となりの敷地には、大坂城代を補佐する京橋口定番(じょうばん)の屋敷がありました。代々の京橋口定番がここに住みつく妖怪にとりつかれる、といわれ恐れられましたが、享保年間(18世紀はじめ)に着任した戸田大隅守(おおすみのかみ)という大名が、これを退治したと伝えられています。その正体は馬のように大きな古狐だったとか。江戸時代の大坂城を描いた絵図「大坂錦城之図」(大阪城天守閣蔵)には、この場所にはっきり「化者(ばけもの)屋敷」と書かれています。
雨上がりの夕方、湿気たっぷりの「ばけもの屋敷」跡
■幕末にあらわれた不思議な魚
夕暮れの南外堀と一番櫓
最後は不思議な生き物の話を、幕末の瓦版(かわらばん)からご紹介。
瓦版とは、災害や事件などの情報をいち早く伝えた木版の印刷物のこと。このうち、「淀川に現れた豊年魚」(大阪城天守閣蔵)には、淀川で「怪魚」が発見されたとあります。体長は7尺5寸(約2.3m)、体重は20貫目(75kg)もあり、姿はイタチのようで、足は亀に似ているとか。なるほど、これは大騒ぎになるのも理解できます。
このできごとは、同じ時期に発行されたほかの瓦版や記録でも確認することができ、なかには淀川ではなく、大坂城の南外堀で、死がいとして見つかったという説も。
不思議な生き物の話は、いつの時代も世の中のうわさになるんですね…。