こんにちは、大阪城オンラインショップです!
いつも全国たくさんの地域からのご訪問ありがとうございます。
この間新年を迎えたと思ったら、あっという間に1か月が過ぎてしまいました。
今さら…という感じもしますが、今回は今年の干支・ヘビのお話。しばしお付き合いください。
■大阪城と「ヘビ」のしるし
石垣に使われた石の数が50万個から100万個といわれる大阪城。石垣に注目しながら散策していると、大名の家紋など、記号や文様が刻まれた「刻印」を見つけることができます。そのなかに、「ヘビ」にちなむ刻印も。

石垣の真ん中に刻まれた「◎」のマーク。これは「蛇の目(じゃのめ)」と呼ばれる刻印です。
蛇の目を家紋にしていた有名な武将に加藤清正がいますが、この刻印は、徳川幕府による大坂城再築のさい、清正の息子・忠広(ただひろ)が工事を担当した「千貫櫓(せんがんやぐら)」を支える石垣でみることができます。見つけやすい場所にありますよ(西の丸庭園内、要入園料)。

◎の刻印のある千貫櫓の東側石垣
この加藤家の蛇の目紋は、武具のデザインにも使われています。
加藤清正が家臣にあたえた具足や、近江水口(おうみみなくち)藩加藤家伝来の空穂(うつぼ。多くの矢を運ぶ道具)にあしらわれた蛇の目紋は、大阪城天守閣が収蔵する武具を紹介する図録「武装」でご覧いただけます。

また、江戸時代に出版された役者絵や武者絵などの錦絵には、蛇の目の文様の着物やよろいを身に着けた清正が多く登場します。当時の人は、◎のデザインだけで誰を描いているのかがわかったのでしょうね。

■ヘビとびわ湖に浮かぶ島
ところで、ヘビは「弁財天の使い」とされています。
滋賀県の琵琶湖(びわこ)に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)は、古くから西国三十三所の観音霊場の一つとして、また弁財天をまつる聖地として、人々の信仰を集めてきました。また、湖岸に築かれた長浜城を拠点とした秀吉が竹生島を保護したことなどから、豊臣家とも深い関係があります。

竹生島
国宝の唐門が、豊臣時代の大坂城極楽橋の遺構とみなされる宝厳寺には、多くのヘビに関する宝物が収蔵されています。頭頂に白蛇(宇賀神〈うがじん〉)が載る弁才天坐像(べんざいてんざぞう)や、とぐろを巻く白蛇が描かれた仏画など、貴重な文化財は次の図録でご覧いただけます。

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昨年につづき、今年も干支に関するお話をお届けいたしました。
ご紹介した図録は、オンラインショップでご購入いただけます。ぜひご利用くださいませ。